大正14年(1925)、北海道旭川に生まれる。昭和16年、16歳で結核を発病し、29歳まで13年間療養生活を送る。療養後、病弱な体に向く仕事が見つからず、母親からいけばな教授を勧められる。銀座松坂屋で開催されていた「全日本いけばな作家百人展」で、小山狂葩、工藤和彦の造形作品に感銘を受け、小原流への入門を決意した。
昭和30年入門、工藤和彦に師事。名実ともに工藤和彦の一番弟子として実力をつけ、前衛いけばなの作家として「いけばな美術展」(通称東横展)などに出品、入選。昭和41年、小原流本部指導員となる。昭和42年、イケバナ・インターナショナル北米大会に、三世家元小原豊雲に随行。
昭和51年から昭和58年にかけて、重田一景、佃季尾子とともに、東京・有楽町の交通会館ギャラリーで「三人三容三作」展を開催。昭和61年、個展「花」を渋谷東急プラザにて開催。
昭和51年、小原流研究院助教授に就任。昭和54年から平成7年まで教授。平成8年、平成9年副院長、平成10年から平成25年まで相談役として、後進の育成にあたる。平成3年、東京支部6代支部長谷野春光の急逝を受け、7代支部長に就任。研究院教授の任に就きつつ、平成7年まで支部長を務めた。
令和4年逝去、享年97。
作品集に『現代のフラワー・アーティスト1 東海林寿男』(平成7年、京都書院)
復元を終えて
この花展を楽しみしていましたが残念ながら9月12日に眠るように老衰で亡くなりました。
花器台帳と取合わせさらに会場図面を手にして楽しみになさっていらしたようです。
この時に居合わせたことを感謝しつつ代花をさせて頂きました。
菊池瑞月